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ダムに沈んだ村 [歴史]

お天気が不安定でここ数日、静に引き籠もりをしておりましたが、ぶらり遊びに出てみました。

さてどちらへ行ってみようかな??? こんな調子!

R113号線を山形方面に走っておりましたが、ユリ園も、ダリア園も行っている。

今日は走ったことのない山道を走ってみることにした。

山形県小国町から右側の山の方へどんどん走って、ダムで移転した集落の碑を見つけた。

この碑は、横川ダムを造る前に有った 「市野々集落」 の記念石碑です。
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この碑を拡大すると、ダム湖の下になる前の集落の全体図が描かれております。
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もっと拡大すると、有った家、有った田んぼ、家の苗字、呼ばれた屋号、流れていた横川、などの地図が描かれております。
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地図は、神社や学校、寺、など、有った場所も描かれてあります。
飛泉寺の「大銀杏」も描いてあります。
この「大銀杏」は、大がかりで、移動させたのを後ほど載せますね。
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もう1つの集落の記念碑です。
「叶水集落」です。
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やはり碑には、「叶水集落」の全体図が描かれています。
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こちらも当時有った家、田、川 山、が描かれています。
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この看板は、飛泉寺の大銀杏を、どのようにして移動させたか説明が載っています。
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これが移動させて、植えられた、大銀杏 です。
大銀杏の重さ 250トン
移動の時点の重さ 280トン
移動の距離 100m
とてつもない大きさの植木鉢を作り、家を移動させる方法で、移植した。
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この周辺の山々は、タケニグサの花盛りでした。
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ダムの上流、叶水の当時の生活道路が右側、横川が下に見えます。
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これが、「横川ダム」です。
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ダムの上から放水を撮りました。
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この風景は、ダムの下流のです。
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この日も、楽しくすごしました。

新発田の殿様 3 [歴史]

新発田には「あやめ城」と呼ばれる美しいお城が有りました。

しかし明治六年~七年にかけて壊され、壊されたあとには陸軍歩兵第十六連隊が使用です。

陸軍のために壊されたのでしょう。

今は自衛隊新発田駐屯地になっています、自衛隊が置かれるくらいの広さなので、かなりの広さです。

今、残っている当時の建物は、辰巳櫓だけです。

2年~3年前に三階櫓が復元されました、
駐屯地に有る、これが三階櫓です。


駐屯地と清水園は同じ街に有りますが、離れております。

清水園には、弓矢を作る竹が植えてありました。
いざというときの用心でしょうか・・・!
端の方にたくさん植えられて、流石殿様!と思いました。



溝口の殿様の家紋は、「五階菱」です。
欄間の形も五階菱です。


馬の鞍も五階菱。


この資料館、何を見ても五階菱です。






腹当てまで五階菱。


道具の全てがこのマーク。


これは長刀。


どれも殿様マーク。


これはお饅頭の包装紙、包装紙にも、アヤメと五階菱。
清水園へ行くと必ず買うお饅頭です。


美味しい薄皮饅頭です。


新発田の殿様 2 [歴史]

清水園は、苔庭と言っても良いほど苔がきれいです。

苔の緑が一面です。



日が当たっているところは白く見えますが、全部苔庭です。



池に石橋がかかっていて、渡りました。



反対側からの庭もステキですね。


隅々まで手入れの行き届いた日本庭園です。


茶室 「桐庵」です。


どこから見ても、絵になります。



清水園には国指定の重要文化財であります。
国内では、殆ど見ることのできない江戸時代の「足軽長屋」です。


藩政時代の足軽が居住した茅葺平屋建ての八軒長屋です。
これは長屋の裏です。


こちらが表になります。


この重要文化財の足軽長屋でも、茶会のときは開放をしてくれます。
この薄暗い中での、お茶会は趣があります。
敷物が敷いてありますが、足軽が暮らしていたときは板の間生活だったそうです。


こちらは、流しですが、茶会に使うので、水道が引いてあります。


囲炉裏があります。
当時は寒かったでしょう、ここで暖まり煮炊きをしたのでしょうね。


かつてこの城下には、会津街道にむかって幾棟かの足軽長屋あったそうです。
今はこの一棟だけ 「北長屋」 と称し全国にも例をみない遺構として、
昭和44年国指定の重要文化財になっています。

次回も続きます。


新発田の殿様 1 [歴史]

月が変わりました、夏バテはしていませんか?
気持ちの豊かになる、写真をどうぞ!

清水園をご紹介します。

清水園は、新発田藩 溝口藩主の下屋敷でした。

国指定名勝の清水園は、隅々まで手入れをされて、美しい庭園です。



4600坪の広い敷地には五つの茶室が有ります。



庭園は、近江八景をとりいれた京風の庭です。



とにかく美しい日本庭園です。



池の上に建っている茶室、「夕佳亭」です。
普段は閉じてあって、中は見られません。
茶会の日は、見られます。



庭は回遊式になっていて、散策には良いですね。
何処から見ても、絵になる素晴らしい庭です。



茶会の日に来ると、茶室の中が覗かれるので、良いですよ。
その日以外は、閉じてあります。






池のふちは歩けるようになっております。
メダカが泳いでいました。

続きます。 次回をどうぞ!

(失礼しました、新発田=しばた と読みます。)


ツルハシで掘った隧道 [歴史]

旧山古志村にはタイトル 「掘るまいか」 と映画にもなった 「中山隧道」 があります。

冬には数メートルも降る雪に覆われ、病気になっても医者も居なく、病院へ連れて行くにも閉ざされた雪山を、山越えをしなければならなかった。

村の人たちはツルハシ1つで、命の隧道875Mを掘ったのです。

地震後 元気づけるため作られた映画のポスター。




暮らしの中で生死を分ける命綱の隧道は、こうして出来たのです。

昭和8年11月12日(山の神の命日)に鍬立て式をして、掘りはじめられました。
完成したときの記念撮影と思われます。




昭和8年から掘りはじめ、戦争の厳しかった18年掘削中断。
昭和22年開始、12年かけて昭和24年5月1日、貫通。
巾4尺 高さ6尺 の隧道を掘ったのです。




(↑本隧道は、子々孫々の暮らしの安らかんことを願い、我らツルハシで掘り抜き、49年間村を支えて、その役割を中山トンネルに引き継いだものである。)
と記載されて有りました。
今は、この隧道の側には、今新しい中山トンネルが有ります。



旧山古志村は、とても景色の良いところです。
下に見えるのが、集落でした。
今は、道路が整備されております。


いつの日か、自然豊かな昔と変わらぬ暮らしの出来ることを、願っております。


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